「あの子は雪月(せつげつ)といいます。母の得意だった雪月花によせてという曲から名付けました」 「あ……噂をすれば」 (あ!鳩さん) 肇様は腕を伸し、 鳩……雪月は肇様の腕に止まった。 肇様は雪月の挙が頭をなでる。 鳩は心地よさそうに目を瞑る。 (ああこれは……懐かしい夢) ――独逸に留学される前に一度だけ会う事を許して頂いた時の。 何度も思い出してはしまい、いつでも鮮やかに思い出せる。 この時の肇様のお言葉は一言一句胸に焼き付いている。 「……ん」 (朝、だわ) 瞼を開けると明るい日差しが、室内を照らしていた。 支度を整え、お稽古部屋へと向かう。 お稽古はお箏の練習から始めることが習慣となっている。 ――そして私はお箏をつま弾いた。 ――肇様が留学されて二年 (肇様はどうお過ごしですか? ……貴方が贈って下さった曲はいつも 私の心を慰め、励まして下さいます) 心は曲に寄り添い、無心になっていつも弾ける。 そうして何曲か弾き、手を止め、庭の空を見上げた。 愛らしい白鳩が空を駆けていた。 私の頬はうれしさで緩む。 「ふふ、いらっしゃい雪月」 その時、落ち着いた足音が廊下からして、間もなく 「お嬢様失礼します」と磯野の声がした。 「入っていいわよ」 「失礼しますお茶と新聞とお手紙をお持ちしました」 そして磯野は眉をひそめた。 「また鳩がきてございますね」 ……磯野はまだ肇様の事を良く思っていない。 こっそりと私が勝手に文を交わした事は 家の全てを取り仕切る彼の矜恃を少々傷つけた。 「磯野、肇様はよい方です」 「さようでございますね。 しかし、時というものは気持ちを変えます それに良家の娘であるお嬢様の歳でも婚約者がいないというのは……」 「磯野、肇様が私の心に決めた方です」 「しかし、留学はあと何年になりましょうか。 彼が、藤枝様の心もお変わりになるやもしれません」 「磯野!」 私は非難めいた視線を向ける。 磯野が私のことを案じているとはいえ、 肇様の事を悪く言うなら許せない。 磯野はため息をつく。 「家柄も良く、お箏の名手、慈善事業にも参加されており 世間のお嬢様の評判はとても良ろしいです そして旦那様の所にお嬢様へ縁談が沢山、舞い込んでいます」 「わかっていますわ。 磯野とお父様が、上手く断っていることも含めて」 「お断りするのも惜しい方々なのですが…… お嬢様の意思を尊重しましょう」 本当に残念そうに磯野はまたため息をついた。 そして新聞と手紙を差し出す。 独逸語と日本語の住所の文字が綴られている。 (肇様からのお手紙だわ!) 手紙の下の文字が目に飛び込むには新聞には大々的に見出しに、 「日本人では初めての国際作曲コンクール入賞!」 藤枝肇君、独逸、ミュンヘンの楽譜出版社にて作曲コンクールに入賞 これは我が国初の国際作曲コンクールの入賞である 「まあ!」 喜びで胸がいっっぱいになる。 「肇様は頑張っていらっしゃるのね。 もう磯野、意地悪言わないで、最初からすぐに渡してください」 「お嬢様の喜びは私の喜びにございますが、 遠距離恋愛で別れてしまう方もいらっしゃいます。 お嬢様のお気持ちに揺らぎがないか存じたかったのでございます」 磯野は「それでは失礼いたします」とその場を下がった。 私は肇様の手紙を読む 様へ この手紙が届く頃にはそちらでは日差しも柔らかくなっている頃ですか? 手紙を書いている今、独逸では長く、寒い冬が続き、毎日雪を見ています。 貴方様は穏やかにお過ごしになっていますでしょうか? 貴方を、想わない日は一日足りともありせん。 そして、日々貴方様のお手紙が何よりの励みとないっています。 そしてこの手紙では良いお知らせを綴れます。 広がる澄んだ青空は美しかった。 |
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